私が暮らすパースには、ヌンガー(Noongar)の六季というものがあります。
ヌンガーは、私が暮らす西オーストラリア南西部の先住民の人々。彼らには、私たちが慣れ親しんでいる春夏秋冬とは違う、六つの季節があります。
Birak、Bunuru、Djeran、Makuru、Djilba、Kambarang。
六季と聞いたとき、私は単純に一年を六等分した暦なのだと思いました。
ところが、調べてみると少し違う。
それぞれの季節にはおおよその時期があるものの、日付だけで切り替わるわけではないのです。
風向きが変わる。ある植物が花を咲かせる。鳥や動物の行動が変わる。雨の降り方が変わる。
そうした自然の兆しから、季節の移り変わりを読み取ってきたのだそうです。
しかも、季節を知ることは、その土地でどう暮らすかを知ることでもありました。
何を採り、どのように土地を手入れし、どの生き物とどう関わるか。六季は、土地とともに暮らすための知恵でもあるわけです。
さらに面白いのは、同じ西オーストラリア州でも、北部のブルーム周辺に暮らすヤウル(Yawuru)の人々は、また別の六季を持っていること。
同じ六つでも、名前も、自然の兆しも違う。
オーストラリア先住民の季節の数え方には、四季や五季のものもあるそうです。
そもそも、季節は四つである必要なんてなかったんですね。
そんな当たり前のことに、私は今さら気づきました。
庭のほうが、先に知っていた
ヌンガーの暦では、今のパースはKambarang(カンバラン)という季節にあたります。
おおよそ10月から11月。冬の冷たい前線が次第に減り、暖かさが増して、野の花が盛りを迎える頃です。
動植物の新しい命が育つことから、誕生の季節とも呼ばれています。
それを読んで、ああ、と思いました。
そういえば最近、風が変わった。
冬の雨を含んだ空気から、少しずつ湿り気が抜けていく。
風が、乾き始めているんです。
庭の植物たちも、ここ数週間で一気に動き始めました。
ベルガモットは力強く花を咲かせ、蜜を求めて蜂が集まってきます。ブドウの枝からは、透けるような若葉がのぞいています。
昨日と同じ姿をしているものは、ひとつもありません。
夜のあいだにマジックでも起こったのかと思うくらい、朝ごとに庭の様子が変わります。
今の私のいちばんの楽しみは、朝、庭をひと回りすること。
この勢いに乗り遅れまいと、野菜の種を蒔いたり、苗を植えたりしています。
今年は初めて、紫色のスネークビーンを植えました。
どんなふうに育つのかは、まだわかりません。
でも、そういうことも含めて楽しい。
考えてみれば、私はカレンダーを見て「春が来た」と思ったわけではありません。
庭に出たら、もう春が始まっていたんです。
そういえば、日本には桜前線がある
ここまで考えて、ふと日本の桜前線を思い出しました。
日本では毎年、桜がいつ咲くのかがニュースになります。
気象庁は各地に開花を観測するための標本木を定めていて、東京なら靖国神社のソメイヨシノ。
その木に5〜6輪の花が咲くと、開花が発表されます。
国中が、一本の木に咲く数輪の花を待っている。
改めて考えると、なかなか面白い文化ですよね。
そして、桜がなかなか咲かなければ「今年は春が遅いね」と言います。
でも、春が遅いって、どういうことなんでしょう。
もちろん、日本人だって3月1日になった途端に春が来るとは思っていません。
二十四節気では立春が春の始まり。気象学では3月から。天文学では春分から。
私が学んできた西洋占星術でも、春分は牡羊座0度。新しい一年の始まりです。
日本だけでも、春の始まりはすでにいくつもあるんです。
それなのに、私たちは「今年は春が遅い」と言う。
自然のほうは、そんなことを言われても困るでしょうね。
桜は桜なりに、その年の気温や日照、さまざまな条件の中で花を咲かせているだけなのに。
私たちはカレンダーで季節を知りながら、実際には植物や風、空気の変化からも季節を知っている。
ヌンガーの六季を知って驚いたけれど、考えてみれば、私たちだって似たようなことをしていたんですね。
私たちは、いくつの暦を持っているんだろう
毎年この時期、私はアセンデンテで翌年の新月カレンダーを作っています。
一般的なカレンダーとは違い、新月を一年の区切りの一つとして、月の満ち欠けや星の動きを感じられるようにしたものです。
その作業をしながら、ふと思いました。
世界には、いったいどれくらいの暦があるんだろう。
月の満ち欠け、太陽の運行、星の出没。古代エジプトではシリウスがナイル川の増水期と結びつき、プレアデスも世界各地で季節を知らせる星として知られてきました。
ヌンガーの伝統知識にも、プレアデスが登場します。
そして暦は、農作物を育てたり、魚を捕ったりするためだけのものでもなかったようです。
祭りをする日、祖先を祀る日。人々が同じ時間を共有するためにも、暦は必要だった。
そう考えていたら、今度は別の疑問が湧いてきました。
私たちは、いったいいくつの時間を生きているんでしょうね。
仕事の予定はGoogle Calendarで管理しているけれど、庭の植物が知らせる季節もあれば、新月から始まる時間の流れもある。
もちろん、Zoomの開催日を「ベルガモットが咲いた頃」にするわけにはいきません。受講生が困ります。
でも、同じ一日なのに、見る暦によって違う景色が見えてくる。
なんだか、それが面白いのです。

同じ春は、二度と来ない
さて、話がずいぶん遠くまで来てしまいました。
六つの季節があると知って驚いていたはずが、いつの間にか人類と暦の話になっています。
でも、こういう寄り道が私は好きなんです。
ひとつ知ると、また別の疑問が出てくる。
そして、今まで当たり前だと思っていたことが、少し違って見えてくる。
庭もそうです。
去年は元気だった植物が、今年はなぜか元気がない。
思いがけないところから芽が出てきたり、いつもより早く花が咲いたりする。
こちらの都合など、まったくお構いなしです。
それでも、庭は毎年面白い。
自然には繰り返しがあるけれど、まったく同じことが繰り返されるわけではありません。
そして、人間も同じなのかもしれません。
毎年、春はやってきます。
でも、去年の春を迎えた私と、今年の春を迎える私は違う。
同じ季節が巡ってきても、そこにいる自分は少しずつ変わっている。
さて、今年の春は遅いのでしょうか。
それとも、私たちが春と呼ぶ時期と、自然が春の気配を見せる時期が少し違っただけなのでしょうか。
そんなことを考えながら、今朝も庭をひと回りしてきました。
紫色のスネークビーンは、まだ小さな苗のまま。
これからどう育つのか、楽しみです。
世界には、まだまだ知らないことがある。
それが、なんだか嬉しいんです。

追伸: アセンデンテでは毎年、新月を起点に一年を楽しむ「サビアン新月カレンダー」を無料でお届けしています。2027年版の配布が始まったら、アセンデンテのInstagramでお知らせします。よかったらどうぞ。

